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【10日】 ボスポラス海峡クルーズ2
ボスポラス大橋の下をくぐる。
下から見ると橋の高さ大きさがよくわかるが、
橋ゲタがないのに、よくまあこの長さを支えられるなぁと感心する。

↑遠くには新市街のビル群が見える

橋のたもとにはオスマン時代の優雅なヤル(宮殿)が建っていた。
眺めの良い海岸沿いにはいくつものヤルが残っており、
海とともに栄えた時代の繁栄をうかがえる。

↑19世紀半ばに建てられたベイレルベイ宮殿(夏の離宮)

ここで船は一旦ベイレルベイ港に着岸。何人かを降ろしたのち再び出航。
僕の参加したボスポラスクルーズは途中下船できない条件なので、
別のツアーの参加者だろうか。

海風の冷たさにそろそろ寒さも限界。
船尾のデッキから船の中へ移動・・・そういえば船首はまだ見てないな。
船首に立つと、まさしく船乗りになった気分だ! 
波を分け、風を受け、狭い海峡を突き進む。
ただし、風を正面から受けるのでさらに寒い(笑)。

↑船首からの眺め。この辺りは海峡で最も狭い場所(幅約800m)

【10日】 ボスポラス海峡クルーズ2_b0091250_2212589.jpg
↑かわいらしいクチュクス宮殿(クリックで拡大)

海岸沿いには宮殿だけでなく、洒落たレストランや豪邸も多い。
こんな場所で暮らすなんて夢の夢だけれど、
1度くらいは中を見てみたいもんだ。誰か招待してください(笑)

↑海沿いにならぶ船着き場付きの豪華な邸宅

そしてクルーズの目的地、ファーティフ・スルタン・メフメト橋に到着(寄港はしない)。
この橋は鋼鉄製のつり橋としては世界最長で、
IHIや三菱重工などの日本企業が技術協力して建てられた。

↑別名「第2ボスポラス橋」。1986年から2年半かけて完成

橋の南西側の斜面には強固な城壁が見える。
このルメリ・ヒサル要塞は15世紀半ばにオスマン帝国のメフメト2世が
コンスタンティノープル(現:イスタンブル)侵攻の拠点として、
わずか4ヶ月という短期間で建設したもの。

↑かなり保存状態がよさそうな城壁

当時、衰退の一途をたどる東ローマ帝国は
首都・コンスタンティノープルのみを最後の領土としていた。
帝国を死守するために街全体は強固な城壁で囲まれ、
金角湾入り口には太い鎖を渡して船舶の侵入を封鎖していた。
この難攻不落の城塞都市を突破せんとするメフメト2世は、
金角湾へ攻め込むことが最重要と考え、
巨大な戦艦を揚陸させて、丘を越えて湾内へ侵入するという戦史に残る奇策に出た。
この「オスマン艦隊の山越え」作戦は見事成功。
コンスタンティノープルはついに陥落、東ローマ帝国は滅亡することとなった。
※直接的な攻撃はできなかったが、金角湾を掌握し補給物資を絶つ「兵糧攻め」に成功


ここでフェリーは折り返し、金角湾の正面にある孤島「乙女の塔」へ向かう。
【10日】 ボスポラス海峡クルーズ2_b0091250_22112467.jpg
↑海峡にぽつんと浮かぶ孤島。右奥がトプカプ宮殿(クリックで拡大)

この島にまつわる悲劇の伝説とは・・・

昔々、この地を治めていたスルタンのもとに
ひとりの占い師がやってきてこう告げた。
「あなたの娘は18歳の誕生日に毒蛇に噛まれて命を落とすでしょう」
予言を恐れたスルタンは、この小さな島に娘を幽閉することにした。
そして・・・時は流れ、娘はついに18歳の誕生日を迎えた。
スルタンはこの日まで娘を守り抜いたこと祝い、
かご一杯の果物を手土産に島を訪れた。
しかしその果物かごの中に毒蛇が潜んでおり、
そのヘビに噛まれた娘は予言通りに死んでしまった。


島の建物は灯台として使われていたが、今はお洒落なレストランバーに改装。
渡し船で行き来できるようになっている。

クルーズ船は金角湾に戻り、ガラタ橋をくぐってエミノニュ桟橋へ着岸。
1時間半のクルーズはあっという間に終わってしまった。
いや〜これは楽しかった。もっと乗っていたかったなぁ〜。
毎日何便も出ているので、滞在中にもう一回乗ってもいいかも。


↑ボスポラス海峡クルーズのルート
by novilog2 | 2013-05-22 20:41 | トルコ・イスタンブルで妄想 | Comments(0)
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